広島管財株式会社
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 「ありがとう作文」が入選して 去年の11月 本社 現場担当の白須マネージャーから、
 「沖本さんの、ありがとう作文が、今度は全国で入選したよ、おめでとう」
と言われ、
 “えっ、全国があったのか、広島では佳作だったのにきっと何かの間違いだわ。”
と思って、家族の誰にも言いませんでした。
 それから何日か寝て起きて、忘れかかっていたころ、出版社からの案内状が仕事中に届きました。見ると、それは紛れもなく本物でした。
 何で私の「作文」なんかが、と思いましたが、体は既に携帯電話のボタンを押し家族に知らせていました。
 平坦でない人生だっただけに、この喜びを分かち合える家族、一緒に喜んでくれる職場の人達がいると思うだけで、充分な「ありがとう」です。
 「とんど焼き」も済んだ19〜20日、お台場のフジテレビの向かいのグランパシフィックで、広島管財 川妻社長やテレビでお馴染みのワタミ社長を含む、全国1,200人の社長さんの前で19名の人が、それぞれの「心に残る、ありがとう」の思いを披露され、私も「職場でのありがとう」を話しました。
 5,490名の中から選んでいただきました、審査員の皆様、月刊「理念と経営」 編集部の皆様、日本創造教育研修所の皆様、聴いていただきました1,200名の社長様、本当にありがとうございました。この経験を生かして、私なりに頑張っていこうと思います。  沖本 一二三


 
 


「表現することの大切さに気づく」     
三上 眞智恵   パナソニック電工(BM部)

 今年の四月から、20年ぶりにフルタイムの仕事を始めました。職場での仕事のスピードアップが求められていますが、それ以上に明るい真心をこめたあいさつが求められています。あいさつを交わす事の大切さは人間関係のスタートだと思ってはいますが、毎日知らない人に、自分から大きな声を出してあいさつをするという事が、なぜか照れくさく恥ずかしいという気持ちとの葛藤の中で、自分としては精一杯の声を出すことに努力しています。そんな中で、仕事を終えて現場から帰った時、主任からとても元気な「ありがとう」をいただきました。仕事だし、当り前のことをして、少し時間もかかって帰って来たのに「ありがとう」が自分に返って来た時、不思議な気持ちがしました。そしてあたたかい気持ちが体に満ちてきました。主任は自然にあいさつのように声をかけてくださったのですが、その事にも感動し、私の心に響いてきたのは、うれしいあたたかい充実感でした。ありがとうという言葉の力を実感した瞬間でした。それから、私は家庭であたり前のように生活をしている夫や子どもに、自分の「ありがとう」の気持ちを表現しているだろうか?と考えました。一番表現しないといけない相手にしていない事に気づきました。改めて見つめてみると妻であり母である私が、家庭の太陽のように、と言われているのに一番言っていないようでした。働き始めて改めて「ありがとう」ということばの力と、思っている事を表現することの大切さを気づかせてもらいました。職場ではもちろんのこと、今までの自分のカラを破って、曇っていた我が家に太陽の光のように、あたたかい思いを込めた「ありがとう」をたくさん降りそそいでいきたいと思っています。




「ありがとう」私の半生とともに     
島 村  誠   山陽学園(SE部)


 昭和の後半、高知市に‘生’を受けた私は小学校を卒業すると同時に両親と離れ、県外の中学、高校と下宿、寮生活を、またアルバイトで生計を立てながらの大学生活を経験しました。殆ど毎日出勤しての月収入から家賃と授業料の積立を引くと約200円/日しか残らず、更にその中から通学、通勤費、食費を捻出するといった有様で生活に困窮する毎日でした。何不自由なく大学生活を謳歌している学生を羨ましく思い、一人で生活していくことの難しさを知り、自暴自棄になって大学の中退を考え‘生’への執着心も無くなり、自ら命を絶とうとしたことも何度かありました。が、それ以上に「人の情け」に感謝したことも幾度もありました。授業料を滞納した時、エールを送ってくれた事務局の先生方、毎日の食事が儘にならず即席ラーメンだけで済ませていた頃、野菜を持たせてくれたアパート近くの八百屋の若奥さん、夜遅くのバイト帰りに饂鈍を作ってくれた食堂のご主人、大切なお金を出し合って寸志を捻出してくれた職場の社員の皆さん、他等々、数え切れない程の多くの方々に助けられた事は、多大の‘感謝’と落ち込んでいた私の‘心’を癒してくれ、‘生きる勇気’を与えてくれたことか計り知れません。そして卒業と同時にバイト先の勧めもあり其のまま就職しました。約30年勤め中間管理職を最後に事情有って退職、現在の会社に再就職し、広島市の或る高校の警備業務に従事しています。四月の或る日、思いもせぬ出来事がありました。教職員歓送迎会に招かれ警備業務の御礼と御願い、新、退任の先生方に挨拶を申しあげている時、今回退職される校長先生から「ありがとう。長年学校運営に携わってきたが、貴方々の警備会社、貴方のような警備員は初めてみた。日常業務時、全校舎床上浸水という非常災害時、出火時、学校を思っての適切な提言等、感謝している教職員は私だけではありません。大変お世話になりました。今後も宜しく頼みます。」と言って握手をしてくださいました。私は驚きと嬉しさの余り涙を堪え、校長先生の手を握り締めていました。この事は教職員、勤務先の社長を始めとする社員、仲間の皆さんの協力、支えの賜物と感謝しております。私の半生を振り返れば、多くの人々に様々な形で「生かされて来た」ように思います。「ありがとう」という言葉が人と人との仲を取り持ってくれた経験を残り半生で人様のお役に立てたい。今日まで助けて頂いた方々へ「ご恩報じ」に?がると思うから。最後に、幼少から厳しい躾で‘責任感’を植付けてくれた今は亡き両親、更には、障がい児を抱えて頑張ってくれている妻に「ありがとう!」




人からの「ありがとう」に有難う     
沖本 一二三   広島銀行大手町支店(BM部)


 私は、好感の持てるある銀行で、掃除をさせていただいている清掃員です。ある日、新しい支店長さんが赴任して来られました。とても品格のある支店長さんでした。そしてある日、「沖本さん、ここを綺麗にしてください。」とても普段気づかない、又考えられない所でした。私は一瞬心の中で、こんな所なんて誰も見るところでは無いのに、と思ったのですが、とっさに口から出たのは、「気づきませんでした。」の言葉でした。自分は掃除のプロと思い込んでいましたが、そこまでは目が届きませんでした。「支店長さん教えていただいて有難うございました。」と一礼をしました。でもそれからが大変でした。「あそこに埃が溜まっている。」「ここが汚れている。」と指摘に続く指摘があり、それに応じて掃除するのが精一杯でした。それに負けてはいられないので「有難うごさいます、気づきませんでした。」と習っていた剣道の作法のごとく、ニッコリ一礼し掃除は丁寧にしましたが、反面心の中では、男はここまで気づかなくてもと思っていました。その強面の支店長さんにもまた転勤がやってきたので、内心「ああ明日からは楽になる。」とホッとした私が居りました。数日後ある人から、支店長さんの支店送別会の席で、銀行員でもないただの清掃員の私の事をほめてくださったとの事、そして「お店を綺麗に掃除して、珍しいお花を飾ってくれてありがとう、お客さんも和んでいた。と伝えてほしい。」と何度も言われたとの事でした。指摘ばかりされていた私には驚きで言葉になりませんでした。当時、一瞬でもホッとした私が、恥ずかしく思うことしきりでした。今思えば、毎日何度もの指摘も支店長さんの銀行を思い、又お客さんへの心配りだったのだと今更知ったのです。支店長さんの言葉に私こそ「ありがとう。」といいたいと思います。「ありがとう」は人を介しての言葉なのに、とてもとても嬉しく、いつまでも心に残っています。そして私の一生の宝物です。これからも感謝を忘れずに、皆様に信頼される自分でありたいと思います。